【アイルランド】

【アイルランド】 アイルランド共和国(アイルランドきょうわこく、アイルランド語: Éire、英語: Ireland)、またはアイルランドは、北大西洋のアイルランド島に存在する立憲共和制国家です。 北東に英国北アイルランドと接しています。首都はアイルランド島中東部の都市ダブリン。ナショナルカラーは緑。独立時の経緯によりアイルランド島の北東部北アイルランド6州は英国を構成するのに対して、アイルランド共和国は1998年のベルファスト合意以前は全島の領有権を主張していました。2005年の英エコノミスト誌の調査では最も住みやすい国に選出されています。 正式名称は Éire (アイルランド語: エァラ)であり、憲法は公式の英語名称について Ireland と定めています。国際連合やヨーロッパ連合においては Ireland として登録されていますが、その一方で、「1948年アイルランド共和国法」 (The Republic of Ireland Act, 1948) は、憲法の規定を覆す効力は無いものの Republic of Ireland を公称とする旨を定めています。 日本語では「アイルランド」または「アイルランド共和国」の表記が使われており、日本政府は「アイルランド」を用いています。漢字では愛蘭土と当てられ、愛と略す。アイルランド語名に由来するエールと呼ぶこともあります。 紀元前265年頃 ヨーロッパ大陸よりケルト人の渡来が始まります。 5世紀ごろ 聖パトリックらによるキリスト教の布教。 8世紀末頃 ノルマン人(ヴァイキング)の侵入が始まる。 1014年 アイルランド上王 (High King) ブライアン・ボルー(Brian Boru、ブリア ン・ボルーとも)がクロンターフでヴァイキングを破り、これ以降ヴァイキングの侵入が収束する。 1169年 ノルマン人の侵攻が始まる。1171年には、諸豪族がイングランド王ヘンリー2世の支配下に下る。 1541年 イングランド王ヘンリー8世がアイルランド王を自称する。これ以降、イングランドからの入植者が増える。しかしアイルランドの貴族はこれを認めずヘンリー8世と対立。 1652年 護国卿オリバー・クロムウェルがアイルランド侵略、事実上の植民地化。これ以後正式な移民が始まる。 1801年 グレートブリテン王国とアイルランド王国が合併する(実質的にはイギリスによるアイルランド併合)。 1829年 オコンネルの尽力によりカトリック教徒解放法が施行される。 1840年代後半 ジャガイモの不作が数年続き大飢饉となる(ジャガイモ飢饉)。この結果多くのアイルランド人がアメリカへ移住する。 1905年 シン・フェイン党が発足、アイルランド独立を掲げる。 1914年 アイルランド自治法が成立するが、第一次世界大戦勃発を理由に自治は保留となる。 1916年 アイルランド民族主義者がダブリンで蜂起するが鎮圧される(イースター蜂起)。 1922年 アイルランド自由国が成立、イギリスの自治領となる。ただし北部アルスター地方の6州は北アイルランドとしてイギリスに留まる。これがアイルランド内戦へと発展する。 1931年 ウェストミンスター憲章が成立、イギリスと対等な主権国家(英連邦王国)となる。 1937年 新憲法を施行、国号をアイルランド(愛:エール)と改める。 1938年 イギリスが独立を承認。イギリス連邦内の共和国として、実質的元首の大統領と儀礼的君主の国王の双方を戴く。 1949年 イギリス連邦を離脱、完全な共和制に移行する。 1998年 ベルファスト合意。直後の国民投票により北アイルランド6州の領有権を放棄する。 【政治】 1949年以降は共和制を採用しています。元首は大統領で国民の直接選挙により選出されます。大統領は基本的には名誉職であり、儀礼的な役割を主に務めるが、違憲立法審査の請求、首相による議会解散の拒否などの権限があり、国軍の最高司令官をつとめます。 初代大統領は作家のダグラス・ハイドが就任しました。1990年から2011年までメアリー・ロビンソン、メアリー・マッカリースと二代続けて女性が大統領に選出されており、保守的傾向の強かったアイルランドの変化を象徴しています。現在の大統領はマイケル・D・ヒギンズである。現在では北アイルランド問題が持ち上がっている。 アイルランドの議会(ウラクタス, Oireachtas)は二院制で上院がシャナズ・エアラン(Seanad Éireann)、下院はドイル・エアラン (Dáil Éireann) と呼ばれる。議会から選出された首相(ティーショク, Taoiseach)が行政府の長となります。1973年にはEC(現在EU)に加盟しています。

【政治】

【政治】 1949年以降は共和制を採用しています。元首は大統領で国民の直接選挙により選出されます。大統領は基本的には名誉職であり、儀礼的な役割を主に務めるが、違憲立法審査の請求、首相による議会解散の拒否などの権限があり、国軍の最高司令官をつとめます。 初代大統領は作家のダグラス・ハイドが就任しました。1990年から2011年までメアリー・ロビンソン、メアリー・マッカリースと二代続けて女性が大統領に選出されており、保守的傾向の強かったアイルランドの変化を象徴しています。現在の大統領はマイケル・D・ヒギンズである。現在では北アイルランド問題が持ち上がっている。 アイルランドの議会(ウラクタス, Oireachtas)は二院制で上院がシャナズ・エアラン(Seanad Éireann)、下院はドイル・エアラン (Dáil Éireann) と呼ばれる。議会から選出された首相(ティーショク, Taoiseach)が行政府の長となります。1973年にはEC(現在EU)に加盟しています。

【イギリスとの関係】

【イギリスとの関係】 オリバー・クロムウェルの侵略以降、民族や領域としての自治が剥奪され、イギリスにとって最初の植民地支配となりました。プロテスタントによるカトリック教徒への迫害があり、また植民地政策で工業化は遅れました。土地政策はイングランドのアイルランド支配にとって重要でしばしば深刻な影響をあたえました。 経済基盤は弱く大規模地主による小作農を使役した商品作物栽培という典型的な植民地型農業であり、アイルランド人の2/3は農業に従事していました。さらに羊毛のための囲い込み政策が追い討ちをかけ、これは1800年代前半に相次いで発生したジャガイモ飢饉の際に決定的な不幸として示現し、商品市場において高く売買される農作物がイングランドに大量に移送される一方でアイルランド地域からは食物が枯渇し、不作に見舞われた小作農の大量餓死が発生し社会問題となりました。1840年は800万人を数えた人口は1911年に440万人にまで減少し、アイルランド語を話す人口までもが激減しました。 ジャガイモ飢饉はイングランドにとっても深刻な社会問題として衝撃をもって受け止められ、公共事業支援や食糧援助などが実施されたものの、貧困からくるアメリカへの移住など住民の離散を防ぐことは困難でした。イギリスで1840年代に沸騰していた鉄道バブルはこれにより崩壊しました。マルクスは資本論の叙述でこの不幸について言及しました。この時期に受けた困難はアメリカに移住したアイルランド人の原点となり、のちのアイルランド独立闘争のさいにしばしば言及されました。また(帝国主義的植民地)経済システムが現実の災害をもたらした顕著な例として経済学や政治社会学でしばしば論じられました。 1919年~1922年のアイルランド独立戦争では休戦協定が結ばれ英愛条約が締結されました。アイルランド自由国が成立して独立戦争は終結しましたが、イギリス連邦下である事にも不満を抱く者はアイルランド内戦を起こしました。 このように歴史的にイギリス(イングランド)への植民地支配の恨みが強く、今でも一部の住民の間では反英感情が強いです。例えば第二次世界大戦の際には全ての英連邦諸国は対日参戦していたのに対してアイルランドはイギリスのチャーチル首相の対日参戦要求を拒否し、大英帝国戦艦のプリンス・オブ・ウェールズやレパルスが日本軍に撃沈されたニュースを聞いて歓喜に満ちていました。また、元インド総督のルイス・マウントバッテンはアイルランド国内でボートに乗っている際にIRA暫定派によって仕掛けられた爆弾で暗殺されています。 しかし、ヨーロッパの経済大国であるイギリスはアイルランド共和国にとって無視できない存在であり、経済的および人的交流は古くから盛んでした。イギリス領北アイルランドではアイルランド帰属を求めてテロ行為を繰り返す過激派IRA暫定派などナショナリストとユニオニストとの紛争が起こっていましたが、和平プロセスが進んでいます。アイルランド共和国は一部日本で誤解されているようなテロ行為の舞台とはなっておらず、北アイルランド和平が現実に近づくにつれ、様々な分野での南北の交流が広がっています。 1997年にトニー・ブレア首相が100万の餓死者・100万の移民を出した1845年から1849年のジャガイモ大飢饉について「今日それを反省してみるにつけ苦痛をもたらすものであった」と実質的に謝罪を行いました。1998年には北アイルランド和平合意が成立しました。殺し合いに嫌気がさした事、南の経済発展にあせりを感じた事が契機となります。 しかし強硬派が納得せず失敗しさらに10年が経過する。2005年、イギリス在郷軍人会アイルランド支部主催の第1次大戦戦没者追悼行事にアイルランド大統領が出席。アイルランド人兵士の名誉回復と追悼を訴えました。彼らはアイルランド自治獲得促進の意志をもって参戦したのにそれまではイギリスへの協力者と非難されてきました。2007年2月、クローク・パーク競技場でのラグビー・シックス・ネイションズの試合、アイルランド対イングランド戦が平穏に行われます。イギリス国歌の演奏に当たりアイルランド側から一つのブーイングもなく、イギリスとアイルランドの歴史的和解の象徴となりました。この競技場は1920年の独立戦争のときイギリス軍がゲーリックフットボール観戦中のアイルランド人を虐殺した場所で反英闘争の聖地でありました。アイルランドは伝統的に反英感情が強いものの、世界共通語である英語を使用しており、英語留学先として人気があります。